In the Lab: A Conversation on Reductionism

Unwrapping the Hidden Target of the Reductionist Critique

先輩:
先ほど読み解いた論文「Neuroscience Needs Behavior: Correcting a Reductionist Bias」は、神経科学における還元主義的なアプローチ、特に脳と行動の関係を理解する上での限界を論じているよね。著者らは、神経操作による因果関係の検証も重要としつつ、行動そのものの理論的な分解から得られる理解が不可欠だとし、より多元的なアプローチを提唱している。
ラボメン:
論文中で、パーキンソン病における「無動(Bradykinesia)」が例として挙げられていました。ドーパミン枯渇が原因であることは分かっても、それが「なぜ活力を失わせるのか」までは説明できない、と。そして行動研究によって「コスト関数の歪み」という高次のメカニズムが示唆された、という流れでしたね。先輩はこの説明を論理的で説得力があると評価しましたが、僕には少し違和感があるんです。
先輩:
ほう、どのような点に違和感を感じたの?
ラボメン:
筆者らは、「なぜ活力が失われるのか」というより大きな問いが必然的に現れるかのように書いていますが、もっと素直にこう捉えるべきではないでしょうか。つまり、ドーパミンが欠乏した患者が無動を起こしている。よく観察すると、単に動きが鈍いだけでなく、「活力」そのものも失われている。この「活力の喪失」という表現型は、すぐには気づきにくい。しかし、注意深い観察によってこの新たな測定可能な指標(read out)が見出された。そしてドーパミン補充で活力が回復することも分かった。さらに研究を進めると、この活力に関わる神経細胞も見つかった…。これは、ごく一般的な神経科学の研究の流れそのものですよね。
先輩:
なるほどね。それは非常に実践的な視点だと思う。つまり、「特殊なアプローチ」というよりは、「優れた臨床観察が新たな研究の突破口を開いた」という、科学の王道的なプロセスだと。
ラボメン:
その通りです。筆者らがことさらに主張するような「メカニズム理解の特定の方向性」や、Marrの言う「計算(Computation)・アルゴリズム(Algorithm)・実装(Implementation)」といった階層モデルを持ち出すまでもなく、「まずはフェノタイプ(表現型)を注意深く観察し、その基盤を調べる」という順番が重要だ、というだけの話ではないかと。もっと単純に、「皆が同じような実験パラダイムばかり使っているが、もっと面白い行動に着目すれば、神経科学の理解はもっと深まるだろう」と書けば済む話を、あえて難しくしているのではないか、とさえ感じます。
先輩:
興味深い指摘だね。確かに、君の言うプロセスは多くの優れた研究が辿る道筋だと思う。でも、そこからもう一歩踏み込んで、筆者らの真意を探るならば、彼らはその「面白い行動」や「気づきにくいフェノタイプ」の質に注目しているのかもしれない。より抽象度の高いフェノタイプには、それを支えるためにより抽象度の高い神経回路の演算が仮定される。その暗黙の前提が、神経活動の記録研究を、より複雑なタスク設計や多段階の実験へと導いている…という現状があるんじゃないかな。
ラボメン:
まさにそう思います。抽象的なフェノタイプを扱うためには、それに見合った複雑な実験が必要になる、という流れは確かにあるでしょう。…とすると、筆者らが言いたいのは、こういうことかもしれません。「やみくもに実験を複雑にする前に、我々が扱っているフェノタイプの抽象度をまず正確に見極めよ!」と。
先輩:
その解釈は、核心に近づいていると思うよ。
ラボメン:
そして、その「フェノタイプの抽象度」を測る物差しとして、Marrの3つのレベルを持ち出してきた…? つまり、我々が解き明かそうとしている現象は、一体どのレベルに属する問題なのかをまず自覚せよ、と。「計算(Computation)」、「アルゴリズム(Algorithm)」、「実装(Implementation)」のうち、今アプローチしようとしているのは何なのかを。
先輩:
そう、まさしく。彼らは、特に神経科学が「実装(レベル3)」、つまりニューロンやシナプスといった物理的な基盤の解明に偏りがちであると指摘している。そして、その現象が持つ本来の目的や論理、つまり「計算(レベル1)」の理解が疎かになっていると。ちなみに、このレベル1の「計算」が、最も抽象度の高いレベルにあたるんだ。
ラボメン:
なるほど、繋がりました。最も抽象度の高い「計算」レベルとは、「そのシステムが何を解決しようとしているのか」という目的そのものの記述ですね。そして、彼らが批判する還元主義の正体も見えてきました。彼らが言いたいのは、こういうことでしょう。「アルゴリズムレベルや計算レベルで立てられた問いに対して、実装レベルの実験データを示すだけで『答えが出た』と満足してしまうこと、それこそが還元主義の誤りなのだ」、と。
先輩:
その通りだね。論文で述べられている「置換バイアス」や「部分の誤謬」といった概念も、すべて君の指摘を裏付けるものだよ。実装レベルの実験がいかに洗練されていても、それが高次の問いに対する直接の答えになるとは限らない。高次の問いを理解するには、まず行動レベルでの深い理論的・概念的な分析が不可欠だ。それが、論文の核心的なメッセージだと思う。 もしかすると、彼らは暗にこうも考えている節がある。実験で得られた結果から演繹して、なるべく抽象度の高い現象を説明しようとしてはいませんか?実は、reductionist(還元主義者)は実験手法や操作対象こそ reductionistic だが、一方でその行動学的な解釈においては皮肉にも抽象化を過剰に求める傾向にある、という批判だ。論文中にはそこまで明示されていないものの、このような前提をもっていなければ、このオピニオンペーパーが書かれた意義も見えにくいと思うんだよね。
ラボメン:
アグレッシブな読みをしますね…!